【小濱道博の介護戦略塾】令和6年介護保険法改正審議中盤、介護サービス20年を徹底検証する 〜そこに”経営”は存在したのか〜 <第1回>
令和6年介護保険法改正審議が本格的にスタートしました。年内に取りまとめられ、来年1月の通常国会に、改正介護保険法案が提出されます。今月は、介護保険法20年の歴史を振り返り、令和6年介護保険法改正に備えたいと思います。
【第1回】介護保険法成立 1.1997年12月9日、介護保険法が国会で成立 1994年4月厚生省は、高齢者介護対策本部を設置して、政府が介護保険制度について本格的な検討に着手しました。1969年の厚生白書では、寝たきり老人という単語が登場して、1972年に小説「恍惚の人」が痴呆性老人に触れて大ベストセラーとなっていたのです。措置の時代は、特別養護老人ホームは低所得者に利用が限定されていて、1982年には、訪問介護が所得税課税世帯でも利用が可能となっていました。1986年には介護老人保健施設が増設されたましたが、実質的に利用が限られており、多くの高齢者は病院に入院を選択する時代でもあったのです。これを、高齢者の社会的入院と呼んでいました。1989年4月の消費税導入に合わせて、12月にはゴールドプランが策定されています。1990年には、在宅介護支援センター。1992年に訪問看護が創設されました。1994年には21世紀福祉ビジョンが公表されて、介護保険制度に繋がっています。1994年12月には、新ゴールドプランが策定され、介護保険制度の導入が現実化しました。この中で、ホームヘルパー17万人、デイサービス/デイケア1.7万カ所。在宅介護支援センター1万カ所。訪問看護5千カ所。特養24万床、老健29万床と言った目標が具体化します。そして1997年12月9日、介護保険法が、国会で成立しました。高齢者介護対策本部は、介護保険制度施行準備室となり老人保健福祉局に統合されたのです。 2.走りながら考える制度の構築 介護保険法の施行は2000年4月と決定しました。その実施までの導入期間において、様々な検討が行われることとなります。現在の介護報酬改定の重要な論点である成果型報酬(成功報酬)も、1998年6月29日の医福審介護給付費分科会の論点となっています。それは、介護度の改善に関する評価でした。当時は、要介護度の改善は、報酬上の評価で無く、花束を贈呈すべきとの意見が大勢を占めて見送られています。制度の肝であるケアマネジャーについては、1998年4月10日介護支援専門員に関する省令が公布されています。ケアマネジャーについては、制度の施行時に4万人以上の育成が必要であるとされました。そのため、ケアマネジャー試験の対象職種は幅広く認められています。間口を拡げすぎとの意見もありましたが、「5年先、10年先の見直しとオーバーサプライの可能性があり、淘汰も起きる。その中であるべき姿、教育、資格が改めて議論されるべき」として承認されました。また、認知症対策として、当時スエーデンで普及が進んでいた、グループホームの整備が急務とされました。1999年3月で103カ所しかなかったものを、1999年12月のゴールドプラン21では、2004年度末までに3200カ所とする計画が盛り込まれています。グループホームと併行して、介護施設のユニット化の促進も掲げられています。そして、身体拘束ゼロへの取組も取り上げられています。当時の医療では、抑制と呼ばれる身体拘束が当然視されていた中で、身体拘束禁止は大きな進歩であったのです。また、介護予防の推進も施行当初から掲げられ、2000年度の予算では、介護予防・生活支援事業に367億円の予算が付いています。その中でも、要介護認定システムの認定プロセスにおける透明性と一次判定ソフトによるコンピュータ認定の客観性は革新的であったといえます。2000年4月の施行までに政治的な混乱もありました。この間、介護保険制度の凍結や延期論が国会審議の論点となって大混乱になっています。要介護認定は1999年10月からスタートしました。そして1994年4月厚生省が高齢者介護対策本部を設置して6年後、世紀の大事業と呼ばれた介護保険制度が、2000年4月1日、ついに船出したのです。
小濱 道博氏 小濱介護経営事務所 代表 株式会社ベストワン 取締役 一般社団法人医療介護経営研究会(C-SR) 専務理事 C-MAS 介護事業経営研究会 最高顧問 日本全国でBCP、LIFE、実地指導対策などの介護経営コンサルティングを手がける。 介護事業経営セミナーの講師実績は、北海道から沖縄まで全国で年間250件以上。 全国の介護保険課、各協会、社会福祉協議会、介護労働安定センター、一般企業等の主催講演会での講師実績は多数。 介護経営の支援実績は全国に多数。 |